平等院に行って来ました①

高校時代の同級生が仕事のついでに向日市の私の家に遊びに来たので、観光を兼ねて12月22日平等院に初めて行ってきました。
途中、宇治橋のところに紫式部の石像がありました。

紫式部(978~1016?)
紫式部は「源氏物語」54帖の作者として知られる女流文学者。
ここ宇治川の畔一帯に華やかな貴族文化の花が開いた王朝時代に登場した才女とは知られていても、その生涯には謎が多く、生・没年さえ正確にはわかっていない。999年頃 藤原宣孝と結ばれたが、宣孝の死後は募婦生活の日を送り、「源氏物語」の執筆はこの頃から始められたらしい。
やがて今をときめく左大臣藤原道長から、一条天皇の中宮になった娘の彰子の女房として仕えるようにと召し出された、宮仕えの身となる。
「源氏物語」が当時の宮廷社会の実情をリアルに描写し、因果応報の人生観を有する人間性を追求した長編にまとめられているのは、紫式部自身の境遇によるものであろうと思われる。
紫式部には、女房として宮仕えをしていたころの生活を綴った「紫式部日記」(1008秋~1010春)や、歌人としての非凡な才能が知られる「紫式部集」があり、当時の公家のようすを伝える貴重な遺作となっている。

夢浮橋ひろば 源氏物語と宇治
「源氏物語」は11世紀初めころ作られた長編小説です。
作者は藤原彰子に仕えていた女房紫式部であると伝えられています。
物語は全部で54帖(巻)からなります。このうち最後の10帖は、光源氏の息子薫や孫の匂宮と宇治に住む三姉妹との実らぬ恋の物語で、特に「宇治十帖」と呼びます。
「橋姫」ではじまり、「夢浮橋」でおわる「宇治十帖」は、朝霧にけむる宇治川の流れが不可欠でした。
「源氏物語」は実話ではありませんが、いつも頃からか、物語の舞台はここであってほしいという人々の思いによって、宇治川周辺に宇治十帖の古跡が作られました。
いま古跡を訪ねることで、遠く王朝文学の世界をしのぶことが出来ます。

宇治橋通りを抜けると交差点がり平等院への参道が見えて来ます。

そのには大きな鳥居がり、縣神社のなぜか看板が外れていました。

世界遺産の平等院正門につながる参道が見えてきました。

平等院に行って来ました②に続きます。

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